インターネットの半分はうんこで出来ている

「表示」の意味がわかるようになった……

弐瓶勉の漫画『BLAME!』第三巻にシリーズ屈指の名シーンが出てくる。重傷を負った主人公が意識の回復と同時に覚醒するシーン。今までずっと見てきたものに意味が生まれる瞬間、読者はそこで初めて彼がいままで見ていた世界を目の当たりにするのである。僕にとってはまさにそのシーンが蘇るような体験が(下書きはここで途切れている)

という書き出しのブログエントリを一年位前にどうやら書こうとしていたらしいのだけど、この書き出しとこのタイトルで当時の僕がいったい何を書きたかったのか、今の僕には理解できない。ただ、三十路を迎えてもまだ人間の精神は日進月歩で成長してるとかいないとかを実感したので、今の僕なりの解釈を無理やり考えてみようと思う。

それこそ最近のSNS全盛期のようなインターネットは僕のような人間には非常に居心地の悪い世界になってしまったと感じることがよくある。たとえば先日、携帯電話をauからdocomoにMNPした際、そのことをツイッターで呟くとさっそくドコモ公式サポートという認証済アカウントから、MNPありがとうございますと、ドコモにはこれこれこんな便利なサービスがありますからぜひ活用してくださいねと、そんな返信をすぐさま頂戴した。その時にはじめて、鍵アカウントにしようかなと真剣に悩んだ。こちとら今から携帯電話会社のMNP施策と強制オプション契約について苦言を呈そうと思っていたのに出鼻を挫かれた格好だった。企業が、公式が、マスメディアが、こぞってユーザーにすり寄ってくる今のインターネットは僕の感覚からして非常に気持ちが悪い。半年ROMれとはよく言ったものだが、認証済アカウントとかいう存在は永久にROM専で構わないと思う。小学生の男の子が「こっち入ってくんなよ!」って叫んでいるのと一緒だけど、僕はそう思う。

コミュニケーションが嫌いなわけではない。大好きなイラストレーターからフォローされ、発言に対して返信まで頂いたときには、素直に嬉しかったしインターネットもここまできたかと、そんな調子だった。けれども勝間和代広瀬香美ツイッターで話題になったあたりでようやく気付いた。結局のところ、僕が親しんできたインターネットはとっくの昔に死んでいた。もはや猫も杓子もTwitterFacebookにLINEの時代に何をナンセンスなことを言っているのかと感じる時もあるが、おっさん的にはインターネットはもっと狭い世界でもよかったのである。ネット弁慶でよかった。井の中の蛙大海を知らず、されどその深さを知る。僕は井戸の中で粛々と社会ではまったく役に立たないが明日を生きるために必要な議論を深めていければそれで満足であった。僕がいままでインターネットで発信し続けてきたのは、一貫してハンドルネームを変えずに様々なサービスで誰でも閲覧できる状態にしてきたのは、ただただ承認欲求を満たすためであるが、と同時に僕に興味を持ってくれている人に向けて何かを提供できないだろうかと思う気持ちの表れでもあった。公共の場であるインターネットで発言しておきながら、想定外の、井戸の外からの反応にイライラしている。なんともおかしな話ではあるが、近頃は巨大になってしまったネットサービスを使いながらそんなどうしようもない感情が心に渦を巻いている。僕の話を聞いてくれ、でも聞いて欲しくないヤツもいる。そんなジレンマにも似たなにかを抱えている。

唐突に話は変わるが、昔、といってもつい最近の昔の話だけれど、おしっこ好きのペドいコンビニ店長がいた。おしっこ好きのペドいコンビニ店長はペドいおしっこが大好きなんだけど、同時に大手チェーンのコンビニ店長でもあったので彼が執筆するブログは多くのビジネスパーソンと、そして一部のペド野郎の間で非常に好評を博していた。さて、おしっことペドを連呼しているとさすがに当局の検閲が気になるので、おしっこ好きのペドいコンビニ店長のことをここからは東雲博士とでも呼ぶことにしよう。

さて、そんなはかせがブログの中でことあるごとに「俺の文章はうんこだ」と言っていた。だったら俺は誠心誠意汚物を垂れ流し続けるべきで、きれいにラッピングしたうんことかだれも喜ばないと彼は言った。つまるところ、究極的には僕らがインターネットを通じて発信している様々はうんこである。つまりは排泄物だ。壁に向かってうんこを投げて、その飛散具合を楽しむツール、それがインターネットだったはずである。うんこは見てもいいし、見なくてもいい。そんなつまらないものでも、あなたのうんこはいいものですね、私のうんこはどうですかと言ってくるヤツが出てくるわけである。うんことうんこの掛け合い、それで終わっていたはずである。本来であればうんこなんてものは生まれたら、誰の目に触れることもなく、二秒後には水に流される存在である。世界でもっともセキュリティが強固な物体はなにかと言われれば、そいつはうんこだとそう断言できる。どんなに親しい仲の人間でも、その人の排泄物の色や形や味を知っている人間は一部好事家を除いては皆無に近いであろう。ただしインターネットだけは様々な人のうんこを見ることが出来た。そうして様々なうんこを人々が放出し続けた結果、なにが起こったかといえば、炎上、本人特定、誹謗中傷、そんなところだ。もうインターネットにうんこを投げたってなにもいいことはなくなった。それはインターネットにうんこを投げない奴らが増えてしまったせいかもしれない。そんな時代に丹精込めてせっせとうんこを放出していた東雲博士はそれが仇となってもうインターネットにはいられなくなってしまった。

うんこだったものは朽ち果てて廃墟となってインターネットの深い深いところで誰の目に触れることもなくその役割を終えるのである。そう、かつてインターネットはうんこで出来ていた。だけど、今はもうただの便利なツールに過ぎない。僕の求めていたものは、もうここにはありはしない。