グッド・ウィル・ハンティング

ウィル・ハンティングは、生まれつき天才的な頭脳に恵まれながらも、幼児期の虐待のトラウマにより周囲に固く心を閉ざし、荒れた日々を送る青年であった。そんな彼が、精神分析医マクガイアと出会い、カウンセリングを受け始める。しかしウィルの心の空洞は暗く深く、容易に心を開くことはなかった。一方マクガイアも最愛の妻を亡くし、その悲しみから逃れられずに苦しんでいるのだった。

「セガを支えてあげられなかった」

物語の終盤、主人公の慟哭に僕の魂は揺さぶられる。

思えば「セガは倒れたままなのか」という新聞の一面広告を見たときから友達たちのプレステに負い目を感じていた。セガサターンの後継機として発売されたドリームキャストは素晴らしいハードだったしソフトも充実していたし、なによりインターネットという夢を運んでくれた。お得意の自虐的なコマーシャルも盛況だったが、DVD-ROMを採用せずGD-ROMにしたこと、MIL-CDによって不正コピーが容易に横行してしまったこと、なによりキラータイトルを獲得できなかったこと、そういった背景からセガの舵取りでは今回も天下を取ることは叶わないだろう、笑いたいヤツは笑えばいい、たとえ永遠の2番でも僕はセガについていく、いつしかそんなことを考えていた。しかしながら営利を目的とする会社の現実は僕の想像以上に厳しかった。結局セガはハード事業撤退という方向に進んでしまった。

2001年1月31日の「本日、SEGAは大きな決断をしました」から始まる文章を読んだとき、驚きよりも落胆よりも憤りよりも先に出た感情は「ですよね」という諦めと納得の相づちだった。あのときのセガは本気で一番をとりにいっていた。でも僕は2番でもいいじゃないですか、これからも楽しいハードとゲームをお願いしますよというスタンスだった。だからって別になにが悪いわけでもないしそこになにかがあるわけでもない。会社は営利を追及してサービスを提供し、ユーザーはお金を払ってそれを享受すればいい。僕はセガ信者を自称していままでどおりにセガのゲームをプレイすればいい。あのときから変わったことといえば自分が好きだった土俵がなくなったってことだけで、悲しいことなどなにもないはずなのにあのときのセガのゲームは世界一だったと思わずにはいられない。

ウィル・ハンティングは素晴らしい親友に囲まれていた。僕は信者ではなく親友になるべきだった。